• heaviness of being

    大学院時代、ダナンに滞在していた時の回想。

    – – –

    泊ってるとこのちかくに夕方になると突如現れる肉まん屋台がある。

     

    そこのおじいさん。

    去年も会った。

     

    その近くのこれまた夜だけ空いているブン(麺)屋のおっちゃんと仲が良く

    毎夜ブンを食べに行っては2人が話しているのを見ていた。

     

    1年後の今年。

     

    肉まんおじいさんをひさしぶりに見た。

    屋台の前まで行って話しかけてみる

     

    最初は

    おや…

    って顔してたけど

     

    あぁ!

    ってなって

    思いだしてくれた。

     

    このおじいさん、けっこう英語しゃべれる。

    そこらへんの大学生よりうまいかも…

     

    とかなんとか考えてると

    ここ座れ座れ と自分の座ってた椅子を差し出して

    自分はというと横っちょの店から借りて来た椅子に座った。

    “わし今英語勉強してるから、お前みたいなんと話せるのがうれしいんや”

     

    もうすぐ夜ごはんの時間でもあり

    話を聞きながらも さてどうやって抜け出そうか考え始めていると

    そのうち身の上話になった。

    おじいさんの娘の話。

    おじいさんの話。

    1973年に大学を卒業して、数学の教授になった。

    でも
    2年しか続かんかった。

     

    なんでか?

     

    南ベトナム軍の将校として戦争に参加せなあかんかったから。

     

    戦争が終わったあとは教授職には戻らず

    10年間大工をやって

    そのうち力仕事もできんようになり

     

    今に至る。

     

    おだやかな顔のおじいさん

    その背中に
    目には見えんいろんなものを背負ってた。

    今まで何回も何回も考えたことけど、幸せやとかそうじゃないとか

    そんな一元的なことじゃなく。

    生きてきたその時間に その人なりの重みがある

     

    おじいさんのその重みに触れられた

    それがなんか嬉しかった。

     

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